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 ◎えもいわれぬ「ニホヒ」の思い出

  
 60歳以上の人ならご存知だろう。小学生の頃自分の「便のカケラ」を学校に提出した「検便の日」。年に一度、新学期の定例行事だったような記憶がある。その日の朝、トイレで力んでみたものの、「出ない」。サアどうしよう。算数や国語の宿題ではないから「頑張ったけど出なかった」で先生に叱られることはないとは思いつつも、みんなの前で「言い訳」はしたくない。そこで、嫌がる弟や妹に懇願して「分け前をヒトカケラ」拝借することに。万事休してポチの産物を持ち込み、大目玉を喰らったこともあったとか。今では大腸がんや消化器系の診断に欠かせない「検便」だが、当時の(小学生のころ)の「検便」は回虫やギョウ虫の発見が目的だった。今なら密閉された検査容器に入れて持ち運べるが、当時は「産物」をマッチ箱に入れ、新聞紙で何重にもくるんで持参したものだ。表に自分の名前を書いて教室の後の所定の場所にソット置く。隣の席のミヨチャンだって「○○するんだ」と改めて認識した瞬間でもあった。
 その日には教室の後ろの方から、えもいわれぬ「ニホヒ」が漂ってきたものだ。お昼頃保健所の人が回収して車で持ち去り、先生が教室の窓を開けて風を入れるとなんとなく安堵の空気が流れてきた。懐かしいなアあの頃、あの「ニホヒ」。

○数日すると、先生は「皆さん虫くだし」の煎じ薬『海人草・カイジンソウ』を飲んでもらいます」と言いながら、黒板に大きく「海人草」と書く。「もの凄く苦くて臭い薬だけど虫を追い出すためには我慢しましょうね」とあらかじめ覚悟させる。黒板に書かれた「海人草」の名前が気持ちワルイ。
どんな草なのか、海草に違いないと思うものの、想像は果てしなく不気味な方向へ・・・。『戦争で海の底に沈んだ兵隊さんの周りに生えた灰色の海藻?』 案の定運ばれてきた「煎じ薬」は臭くて苦くて鼻をつまんで、目を閉じて一気飲みするしかない気持ちワルイ液体。

○ところで今でも不思議なのだが、なぜ全員(虫のいるいないにかかわらず)が飲まされたのか?飲んだ結果はどうだったのか。虫はうまく駆除されたのか。結果が分かるのは一年後の検査。あれはいったいなんだったのダ。この点については「ほぼ全員が虫を宿していた。飲んで害になるものではないから」の説もある。確かに戦後間もない当時のアノ状況下ではうなずける。

○その後も小学校での「検便」は数十年続いた。やり方は徐々に変わっていったようだ。5歳年下の妹に聞くと「私の頃は虫のいた人だけが駆虫薬を飲まされた。「海人草」ではなくてチョコレート状の薬だった。検査結果は後日各人に伝えられた」という。

○「海人草」について調べてみた。正しい呼び名は「カイニンソウ」。海底やサンゴ礁に生息する黒紫色の海藻。「マクリ」の別名あり。今でも生薬に含まれ使われているが、合成の駆除薬が開発されたことと、回虫,ギョウ虫が減っていることから昔のような煎じ薬として使われることはない。なるほど。